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第1回初金会

えーっと

セントラル楽器はこの辺だったっけ

たしかこの細い道を右に入った左手にあったような、、、あらっ、セントラル楽器の看板が裏道ではなく表通りにある。うぉー、
首を上に見上げると大きなビル。これがセントラル楽器ビルかぁ。すごいなぁ。大きいんだなぁ。

エレベーター入り口に「初金会6階」の張り紙。
間違いない。ここがセントラル楽器ビルだ。

また、このエレベーターが洒落てます。通天閣のように窓から外が見えるのです。上昇中景色が俯瞰図に変わり、鳥になったような気持ちになります。

6階につきドアを開けると 受付にお美しいお嬢さんが、と、思っとらOGではありませんか。
皆さん若い!

えー多少緑内障があり、この表現が正しいかどうかは定かではありません、、、
             
受付では今日のレジュメと名札カードをいただきました。
なんでレジュメと名札が、これは何かのセミナーだろうか

太田さん、佐藤さん、福永さんと握手。福永さんスリムになられました。
それに引き換え、長嶋さんのウエスト。たしか4週間ほど前にお会いしたばかりなのに、さらに成長なさって、ご立派です。
次に会う時はどれくらいご成長なさるのでしょうか。

部屋の中は神大ブラスの歴史的資料館。全て浅井さんの個人所有だそうです。スゴイ!
  浅井さんの資料缶(我々にとっての宝)

残念なのが、あまりに時間が経ちすぎてて懐かしいと言うより記憶がない、憶えてないものが多く、記憶を正す意味でも今日の浅井さんの講演は意味があります。

みんなが集まるまで浅井氏の資料を見ながら談笑。
ドアが開いて、メンバーが集まるたびに

「おー、」「ひさしぶりー」と握手。
「まぁいいか」の広沢さん。懐かしいです。そして、ホントにホントに懐かしい。35年ぶりの村中夫妻。村中さんは間借りアパート「豊荘」の隣人で私の前任の学生指揮者です。
豊荘では毎晩「電線音頭」で宴会があり、大家さんによく叱られました。

注:電線音頭
http://www.youtube.com/watch?v=2bB9v7b20Fg

牛島君、史郎君とも再会。
史郎君とは数年前の演奏会でお会いしましたが、牛島君とは多分35年ぶりだと思います。

そして、クラリネットの今井君。同期です。豊かな音色。高度な技術の持ち主でした。お美しい奥様もご一緒でした。

福永さんの素晴らしい進行に導かれ、いよいよ浅井さんの講演会が始まります。
浅井さんは神大ブラスの歴史、コンクール初期の解説。そして、浅井さん達の年代で1年時から順を追って壁に貼ってあるポスター、アルバムの写真、当時の音源。そして、これがすごいのですが、当時のバンドジャーナル紙を読みながらの解説です。
これらの資料は我々にとっての宝物です。
                       

面白かったのが、私が入る前(浅井さん一年生時)、ニューアーク高校(米国)との交流でその指導者のパンチョス先生と青木さんとのやり取り、後日その先生と仕事上の関係で交流していたという青木さん。縁とは不思議なものです。青木さんははトランペットのモーリスアンドレ氏にもインタビューされてたそうです。

野比合宿での「太陽マーク」「トニック」の話。
2年時の東京音大松井先生とのコンクールの話。間違いなく金賞と思って発表を待った時のお話。
3年時のジェリコ。自由曲は1位であったが銀賞。
「なんだ、これで我々は銅4会にならなくなった」と宇野の話。

そして、いよいよ4年時の合宿の話。大家さんからどれだけ練習してもいいよ。と言われ、ほんとに無茶苦茶練習した合宿での出来事。みんなお風呂にも入らず2,3時間の睡眠時間で何回も何回も何回も繰り返しての練習。特に課題曲は4倍くらいに遅くしたメトロノームを指揮台に置いて何回も延々と練習したことを思い出しました。
バイトの高校生のお別れの言葉として

「えー、私たち音楽に全く興味ありませんでしたが、皆さんの練習していた曲だけは覚えてしまいました。」

全国大会で涙の金賞受賞
懇意にしていた立正女子高校の井上先生から一本指を隠しだされ、1位の金賞だったよと教えてくれた事などを語られ、あっという間の1時間でした。

そのあとは一人ひとりの近況報告。
行方不明の高橋さんがインド滞在中にネットで捜索願の出ていることを知り、日本に帰り自首してきて大騒ぎになった話、子供が吹奏楽部に入ってるという人もいました。杉山君のご子息は神奈川大学吹奏楽部に入部してたのです。
ITの仕事は大変だと言いながら頑張ってる牛島君。ITの仕事を辞めて人生に余裕ができたとの向山さん。仕事で色んな問題を抱えて乗り越えた史郎君。この35年みなさん一生懸命生きてきたのです。

正面に同期の高木のネームプレートが張られてます。
3年前に天国へ逝った高木。
橋本や山崎は高木の事を語ってくれました。
ここに高木がいてくれたらなぁと高木の恥ずかしそうに笑う顔を思い出してしまいました。

                         2010年松山にて

私は、このメンバーがいたからこそ今の神大ブラスがあるのだとお話しし、さらに、私たちの後の全国大会にも行けなかった苦しい時代をよく後輩が潰さずに繫いでくれたことへの感謝の気持ちを話させていただきました。

続いて長年神大ブラスOB会のために土地の高い横浜一等地を無償提供いただいたセントラル楽器様に感謝状。
セントラル楽器さん 本当に助かってます。ありがとうございます。

第一次の締めくくりは村中氏指揮による校歌斉唱。太田さん、青木さん、福永さんによる伴奏。
            
さあ、お片付けっと思ったところで長谷川君が遅刻して参上。
1時集合をなぜか7時集合と勘違いしたようです。
最初、その変貌ぶりに誰だか分かりませんでしたが、声を聞けばすぐ思い出しました。
彼とは豊田市で行われた全国大会以来の再会です。

この後は中華レストランで宴会となりましたが、この「第一回初金会」、なんとガッチリした構成の式典だったでしょうか、さすが初金会主催です。たぶん我々「吹響会」が仕切ってたら、ダラダラと始まり、締まりなく終わるという感動のない会になってたことでしょう。
こういう人たちが集まった年代だからこそ、今の常勝神大への大改革が出来たのだと再確認しました。
有意義な一日でした。

 
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