真島俊夫先輩をしのぶ会

会場は霞ヶ関の駅の近く 日比谷公園の隣 

中に入ると真っ白い大理石で四方八方張り巡らされている。荘厳で品格高い会場です

すでに大勢の皆様が献花にみえています。真島先輩の人気の高さがわかります。

田原会長、佐藤さん、八代さん、長島さんと私がコーヒーを囲んで真島先輩との思い出話。

そこへ 主催者であり、田原会長より2年先輩の田辺さんが来てくださり、真島先輩の病気に向かっていた時の話をして下さいました。

田辺さんは白髪でダンディな紳士です。神大のOBはカッコイイ人多いんです。(私を除いて)

その後 元下倉楽器の小野先輩、眉毛の動きが特徴的です。
そして、私は初めてお会いする甘粕先輩。学生指揮者でしたので名前だけは知っていました。

甘粕先輩コンクールでクィーンシティ を指揮されてます。
        

白亜の階段を下りるとその正面には真島先輩のダンディな写真。その前に真島先輩のトロンボーン。
献花台に歩を進めると真島先輩の写真がいっぱいありました。

奥様との写真、前田憲男さん、淀工吹奏楽部の丸谷先生。もちろん小澤俊朗先生。神大吹奏楽部みんなとの写真。

献花台の部屋には、花束をいただいた全国の皆さんの名前も貼ってありました。

 
セレモニー

先ほどお会いした大先輩の田辺さんが、真島さんが天国へ逝く過程を時系列で細かくご報告いただきました。
慶応大学での手術
田辺さんの忠告
お顔が腫れてたこと
回復かと思われた矢先の急変
的確な説明で自分自身の真島先輩への気持ちを静かに整理させてくれました。

丸谷先生が献杯

丸谷先生の声が変です。風邪を引かれたのかな と思っていたんら

「魚の骨が喉に刺さって それが胃まで流れてしまい、胃カメラで抜いてもらった。」

それでまだ声の調子が悪いのだそうです。丸谷先生らしい献杯のお言葉でした。


小澤先生が真島さんとの関わりをお話くださいました。

神大に岩井直溥さんが来てくれた時(第18回定期演奏会 私が4年の時です)〉

小澤先生が 岩井さんに お弟子さんいますか と話したんだそうです。

岩井直溥「いないんだよ」

じゃあ神大に いい人いますよ と真島さんを紹介したのだそうです。

小澤先生は岩井先生も真島さんの才能に惚れ込んだと確信した事実を教えてくれました。

当時の楽譜は今のようにコンピュータに打ち込むのではなく手書きだったのです。

手書きになると 筆跡がでて、岩井さんの筆跡というのが譜面に出てくるのです。
そこに、明らかに岩井さんではない譜面が出てくる出てくる。
これは真島さんの筆跡です。でも、編曲者のところには
岩井直溥 と出てるのです。

あるとき 3曲続けて編曲したとき、その中の1つだけ真島さんの名前を入れてもらえました。

それが真島さんのデビューとなったんです

と、今だから言える秘話を披露

オリジナル作品のデビューは

1985年の課題曲 港の見える風景

このとき小澤先生の尚美が候補曲を演奏したのですが

1番目に練習したのが 港の見える風景

小澤先生、審査員に聴かせる前 生徒たちに

「1番目の曲 いい曲だからちゃんと練習しなさいよ」 と学生にプレッシャーをかけたのです。

候補曲が審査員の前で演奏されました。
この年、審査員の投票が割れて決断に困っていたのだそうです。
そこで、演奏した
小澤先生が呼ばれ

審査員「振ってて一番良かったのはどれか」 と聞かれ

1番目の曲が振りやすく良いサウンドだった と答え他のです。  これが決め手となって真島先輩の曲が課題曲に選ばれたようです

そして これがオリジナル作品のデビューになりました。

  

N 磯部さんのクラリネット 田原会長も

 我らがOB会長 田原さんもプロと一緒に堂々たる演奏を披露 和やかに真島先輩を偲んで閉会となりました。

先輩は天国へ逝ってしまいましたが、現世に多くの作品を残してくれました。
 


我々は先輩の残してくれた作品を聴きながら
残りの人生を楽しんで行きたいと思います。

今回のしのぶ会を主催してくださった皆様、真島先輩のファンの方々、作品を愛してくれる皆様に感謝いたします。

    

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